那須の殺生石が割れた!636年前の封印が解かれたのか?九尾の狐とは?

ミステリー

栃木県那須郡那須町湯本にある、

九尾の狐が、石に姿を変えたという

伝説のある、殺生石が

突然、割れてしまいました。

 

コロナの蔓延、戦争と心が重くなる

ニュースばかりの昨今ですが、

さらになにか追い打ちをかけるような

出来事が起こってしまう前兆、

なのでしょうか?

 

殺生石とは?

殺生石に姿を変えた

九尾の狐とは?

どうやって呪いを封印したのか?など

詳しく調べてみました!

 

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那須の殺生石とは?

 

殺生石は、鳥羽上皇の側室、

玉藻前(たまものまえ)の

悪霊(九尾の狐)が

石に姿を変えたもの、

と言われています。

この石は毒を発して人々や生き物の命を

奪い続けたため「殺生石」と

呼ばれるようになりました。

 

 

那須の殺生石が割れた!

 

2022年3月5日のTwitterで

投稿された、

殺生石が割れたという情報です。


殺生石のことを知らない方は

写真を見てもよくわからないと思いますが、

殺生石が割れる前は、

しめ縄が飾られている、おおきな岩石です。

殺生石が割れる前の状態を見てみましょう!

 

 

那須の殺生石が割れる前

 

那須の殺生石が割れる前の画像ですが、

しめ縄とともに、よく見ると

ワイヤーのようなもので、

岩全体を保全している様子も伺えます。

割れてしまうような前触れは

感じられませんね!

 

殺生石が割れた!という情報で、

様々な声が上がっています。

 

 

 

殺生石が割れて、封印が解かれて怖い!と

恐怖を感じる人や、

たまたまこの状況に遭遇したことを

ラッキーじゃないか~という人など、

反応は様々です。

 

ところで、この殺生石に姿を変えた

九尾の狐とはいったい

どんな狐なのでしょうか?

 

 

九尾の狐とは

 

九尾の狐は中国、インド、日本と

美女に姿を変えながら国を混乱に

陥れたとされています。

九尾の狐は妖狐というだけでなく、

妖怪の中でも大妖怪といわれるほどの存在です。

 

中国、インド、日本で

どんな九尾の狐の伝説が残っているのでしょうか?

 

今回は絵本、「三国妖婦伝」を参考に

調べてみました。

 

 

 

中国に現れた九尾の狐(殷の時代)

およそ3000年前、古代中国、

殷(いん)の王朝時代。

それまで500年続いていた、

第30代の紂王(ちゅうおう)によって

治められていましたが、

紂王の近くに現れた絶世の美女、

妲己(だっき)に夢中になり、

骨抜きにされ、

政治がおろそかになっていました。

それどころか、

妲己に夢中になっていることを

諌めた皇后を殺し、

妲己を皇后の座につけたのでした。

 

皇后になった妲己は、

紂王を色香で意のままに操り、

好き勝手に贅を尽くした毎日を送ります。

 

池をお酒で満たし、

血肉を林のように並べ、

毎日、宴を催していました。

 

ここから、

酒池肉林という言葉が生まれました。

 

そんな妲己は残酷なことも好み、

自分の意にそぐわない罪もない人々に

残虐な行いをするようになります。

 

やがて、そんなめちゃくちゃな

政権に不満が爆発!

武王(ぶおう)が

クーデターを起こして王朝を滅ぼしました。

 

妲己は、罪の重さから

打ち首の刑と決まりましたが、

刑の執行になると妲己は異様な妖気を放ち、

だれも寄せ付けません、

そのようすを見て、武王の軍師、

太公望(たいこうぼう)

鏡を妲己に向けてかざしたところ、

そこには九尾の狐の姿が映し出されました。

 

正体を暴かれてしまった妲己は、

狐の姿に戻ると、逃げるように

天に駆け上っていきましたが、

すかさず、太公望は持っていた

宝剣を投げつけます!

 

宝剣は狐の体に命中し、

体が3つに別れ、

空に消えてしまいました。

ここまでが、殷の時代の九尾の狐です。

酒池肉林という言葉はこの時代で

生まれたのですね。

それにしても、いつの時代、どの国にも

残忍な妃や王が出現します。

特に中国には、西太后を始めとする、

中国三大悪女も登場します。

権力を持ってしまった性悪女は

手がつけられないですね。

 

九尾の狐は、このあと、

天竺(インド)に登場します。

 

インド(天竺)に現れた九尾の狐

九尾の狐は次に、

天竺(てんじく・インド)に現れます。

殷の出来事から、700年後です。

今度は華陽(かよう)という美女になり、

ときの王子を誘惑、、

王子は華陽を喜ばせるため、

100人もの罪のない人々を殺してしまいました。

華陽は名医の耆婆(きば)によって

正体を見破られ、*薬王樹で作った杖で

突かれ、狐の姿に戻って逃げていきました。

 

*薬王樹というのは、びわの木だと思われます。

ビワの木には薬効があり、古い仏教経典では

「大薬王樹(だいやくおうじゅ)」と

呼ばれています。

ビワの木は乾燥させると、

強度が増し、丈夫で長持ちするそうです。

 

そして、物語は、

またしても同じパターン、、

美女が権力者を誘惑、酒池肉林、

残虐行為、追放、、、

人間って永遠に学習しない生物ですね。

いろんな国で同じようなことが、

繰り返されています。

そして、九尾の狐はふたたび、中国に現れます。

 

 

ふたたび、中国に現れた九尾の狐

九尾の狐はふたたび、

中国に戻ってきました。

王朝は周で武王から数えて

12代目の幽王が治めていました。

幽王には、とても美しい婦人、

褒姒(ほうじ)がいました。

九尾の狐はこの褒姒(ほうじ)に

姿を変えていたのです。

 

褒姒は笑わない女性だったのですが、

唯一、笑顔を見せた出来事は、

敵の攻撃を知らせる狼煙(のろし)を

見たときでした。

 

のろしが褒姒のツボだったようです。

幽王は褒姒の笑顔を見たいためだけに、

わけもなく、

どんどん狼煙をあげさせました。

 

そして、本当に敵が攻めてきたときに、

戦の準備をしなかったため、

そのまま周は滅びました。

褒姒は反乱軍に捕らえられ、

あっさり、処刑されてしまいました。

今回の中国での九尾の狐は

ちょっとパターンが違いました、、

なぜか狼煙を眺めることが大好きだったようです、

変わった嗜好ですね^_^

そして、あっけなく、消えました。

 

しかし、このあといよいよ日本に

九尾の狐、登場します!

 

日本に現れた九尾の狐

 

やっと殺生石の伝説に関わる

ところまできました、、、

いよいよ、九尾の狐、日本上陸です。

周で処刑された九尾の狐は、

悪霊となってさまよい、1000年後、

遣唐使の船に乗り、日本へ上陸、

そこから更に、350年後、

今度は捨て子の姿になって

優しい武士に拾われました。

 

その後、美しく、賢く育った少女は

宮中に仕えることに。

その頃から玉藻前(たまものまえ)

と呼ばれるようになり、

鳥羽天皇から寵愛を受けました。

 

しかし、それからというもの、

天皇の健康状態が悪くなり、

だれも原因を見つけられない中、

宮中の陰陽師安倍泰親が、

占いで、病の原因が玉藻前の放った

悪霊だと見抜きました。

 

すると玉藻前はたちまち

金色の九尾の狐の姿に戻り、

宮中から逃げ出していきました。

 

那須野が原で、

狐が人を食べたという情報で、

朝廷は、相模国(さがみのくに)の

勇者三浦介義明(みうらのすけよしあき)と

上総介広常(かずさのすけひろつね)に

九尾の狐の討伐を命じました。

 

三浦介は狐退治の訓練を重ね、

ついに那須野が原で九尾の狐を

射止めることに成功しました。

 

しかし、狐は最後の力を振り絞って

姿を石に変えました。

完全に退治することはできません、

石は近づくと毒を放ち、

人や動物の命を奪うので

殺生石と呼ばれました。

その後、石には多くの高僧が訪れて、

狐の怨念を成仏させようとしましたが、

毒によって次々と死に失敗。

 

それから200年ほどが経ち、

天皇の命を受けた一人の高僧が

殺生石に挑みました。

源翁(げんのう)和尚です。

和尚は石の前に立つと、

お経を唱えてから「喝っ!」と

杖を振り下ろしました。

すると、石は粉々に砕け散り、

それ以来殺生石で命を落とすものは

いなくなったといいます。

源翁(げんのう)和尚が石を砕いたのは

杖でなく、金づちの説もあります。

金づちのことを「げんのう」とも

呼びますよね。

この伝説が「げんのう」の

由来とされています。

 

そして、この石から出てきた毒というのは、

火山性の有毒ガスといわれています。

地形に沿って空気より重い有毒ガスが

石周辺のくぼみに溜まり、

濃度が上がって、そこに居合わせた

生き物が死ぬといった現象だったようです。

 

話の中では殺生石の毒はなくなりましたが、

現在でも殺生石の近くに行くと

たまに動物が絶命しているそうです。

 

まとめ

 

物語のなかでは、玄翁和尚によって、

殺生石に姿を変えた九尾の狐は

636年前に消えています。

「殺生石の封印が解かれた」と

話題になりましたが、

殺生石の中に九尾の狐が封印されたとは

なっていません。

割れた原因も、

おそらく、寒暖差で膨張、収縮を

繰り返す中で、すでにヒビが入っていた石が、

割れてしまった、ということでしょう。

自然に割れてしまっても、

問題ないのではないのでしょうか?

ただ、観光的にはちょっとダメージが

ありそうですね^_^

今後、割れてしまった、

殺生石のその後が気になりますね!

 

今回 那須の殺生石が割れた

そのとき、偶然居合わせた人が

SNSにアップして、話題になりました。

持ってる人、ですね!

これだけ話題になったのですから、

運が良い!と言えますね!

良い方向に考えましょう^_^

 

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